とと姉ちゃん|戦後の住宅事情が酷かった!あなたの暮しの住まい特集

 

朝ドラ『とと姉ちゃん』では、「あなたの暮し」の創刊号は直線裁ちの企画が

大きな反響があり、1万部を売り切ることになります。

 

そして次に同誌で取り上げる企画は「住まい」についてです。

 

創刊号では当時の酷い生活環境に鑑みて「衣」について取り上げましたが、

次は「住」ということです。

 

常子の女学校時代からの親友の村野綾も空襲によって家を焼かれ、

バラックのような長屋住まいです(しかも間借りのようです)。

 

さらには再登場する常子の恩師の東堂チヨも、親戚の家の物置に

夫婦で身を寄せているという現状。

 

このようなあまりに酷い住宅環境から、常子や花山も住まいの特集を組む

ことになりますが、具体的には当時の住宅事情はどのようなものだったのでしょうか?

 

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戦後の住宅事情が酷かった! あなたの暮しの住まい特集

 

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日本は太平洋戦争時に全国各地で空襲の被害に遭いましたから、

戦後は深刻な住宅不足となります。

 

戦禍により日本全国で焼かれた住宅は210万戸あまりで、

終戦直後は全体で420万戸の住宅が不足していると言われていました。

 

特に空襲が激しかった首都圏や大都市などでは多くの人びとが

住居を失ったことから、「バラック」と呼ばれる掘っ立て小屋に暮らしました。

 

しかも家族だけではなく、親戚・縁者と身を寄せる人も少なくなかったことから、

小さなバラックに10人近くの人数で住むこともあったようです。

 

戦後のバラックの貴重な映像がありましたので、ご紹介します。

 

 

バラックは現在の仮設住宅のようなものですが、戦争が終わった安堵感からか、

人々の表情が明るいのが救いですね。

 

わたしたちの祖父や祖母の世代も、終戦直後はバラック暮らしで苦労をしたことでしょう…

 

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ただし東京や大阪ではバラックにも住むことができずに、

東京湾や大阪湾の船上で暮らした人も多かったといいますから驚きですね。

 

これを考えると、ドラマの村野綾や東堂チヨなどはまだマシなのかもしれません。

 

さらには家を建てようと思っても当時は深刻な物資不足(木材やセメント)ですから、

それも容易ではありませんでした。

 

昭和21年(1946年)に出された臨時建築制限令によって、

当時は12坪以上の建築や増築ができない状態です(昭和25年に廃案)。

 

12坪といえば24畳くらいですが、廊下や台所、トイレなどを含めても

この程度の狭い家しか建てることはできなかったのです。

 

そして日本のこのような酷い住宅事情が解消されることになるのは、

昭和30年(1955年)あたりの高度経済成長期に入ってからです。

 

昭和30年には日本住宅公団が発足して、団地型の住居を次々に作りだします。

 

これによって多くの人びとが、バラックのような仮設住まいと訣別することが

できました。

 

ドラマでは常子や花山が住まいの特集を組むのは昭和22年ころですから、

深刻な住居不足の真っただ中です。

 

「あなたの暮し」の住まいの特集で、どのような提案がなされるかに注目ですね!

 

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